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2008年10月21日 (火)

卒業生からのメッセージ:中村のり子

昨年度のワークショップ卒業生で卒業制作「中村三郎上等兵」がグランプリに選出された中村のり子さんからのメッセージです。

*2/16up あらたに作家自身による作品についてのテクスト「自作を語る」を文末に追記しました。

Photo

奇天烈先生に囲まれて

私は、数年前から独学で撮り始めた作品がどうしてもうまくいかず、ヘルプを求めて研究所へ入りました。イメージフォーラムを選んだのは、組織的な制作の場ではなく一人が一作つくれること、そして講師の顔ぶれがユニークで、新鮮なアドバイスを得られるのではないかと思ったからでした。

同期生も老若男女、実験映像がやりたい人、自分を語りたい人、アニメ志向の人など様々で、互いに感想を言い合いながら、私は何を作りたいのかを見つめることにつながりました。先生達はそれぞれに得意分野を持ち、好みもバラバラなおかげで、一つの作品に対して異なった意見を聞けるので、舞い上がり過ぎることも絶望することもなく制作を続けられました。とくに卒業制作に入ってからは、繰り返し講評を受けることが支えになっていました。どの先生も「教師」ではなく「作家」や「研究者」であるだけに、アドバイスは率直できびしいです。でも、普通じゃない発想と心構えを与えてくれると思います。それにどう応えるかは、私自身にかかっていました。けっこう放任された環境なので、ぼうっとしていると置いていかれますが、何とかしてついて行った仲間の多くが、驚きの展開を経て作品を完成させたと思います。
私も、先生達の感想を聞くことで作品のモチベーションがどんどん変化していき、ダメ出しをクリアしようとする試みの中で作品のかたちが確固としていきました。卒業制作で大賞をいただき、国内の映画祭に応募して入賞する幸運にも恵まれましたが、独学のままでは上がれなかった段階に、背中を大きく押していただいたと思います。

中村のり子
第31期卒業。卒業制作グランプリ作品『中村三郎上等兵』が第11回ゆふいん文化・記録映画祭で第1回松川賞を受賞。

「自作を語る」 私が今回作った『中村三郎上等兵』は、すでに亡くなった祖父の兵隊時代の仲間に会ったり、祖父が家族に遺した戦争の逸話を聞き集めて、私にとっての優しいおじいちゃんと若き日の兵隊・中村三郎とを照らし合わせていく中編である。おそらく、過去への興味が強かったからか、人一倍怖がりだったからか、子どもの頃に太平洋戦争の小説をけっこう読んだし、おじいちゃんに戦争の話をしてもらったこともよく憶えていて、ずっと私にとっては気になり続けている主題だった。ちょうど高校三年生の時にイラク戦争が起こったことも影響して、ビデオカメラを買ったら戦争の話をするお年寄りを撮りたい、と自然に急き立てられていた(この時、もう祖父は亡くなっていた)。 でも、そんなこと考えないという友達や、暗くて気の進まない話題だという友達は多い。新聞で目にしたお年寄りに会いに行って話を聞いてみたこともあったが、私がいくら興味を惹かれても、撮影するとよくあるテレビの証言シーンのように感じられた。私はもっと、戦争の話を聞く時のタイムトリップするような気持ち、現在との衝撃的なギャップ、その体験をした人間が目の前にいるという感覚、それを面白さとして他の人にも伝えたかった。すでに観客としてドキュメンタリー映画に夢中だった私は、撮るならやっぱり「面白い映画」を作りたかった。退屈なはずのない、説教くさいはずのない物語にしたかった。 やっぱりこういう主題であればこそ、作者である私に密着した設定にすべきだということに、しばらくしてから気づくことになった。はじめは、幸運にもおじいちゃんの戦友だったという人と連絡をとれたことで、親身になって話してくれる対象と出会って世界が広がった。3年ほど断続的に行われた撮影は貴重な日々だったが、それでも、私はテーマを絞り込むことができなかった。戦友の方たちにやっぱり遠慮があって、聞けないこともあり、ある程度の距離感を保ったままだった。 一度は映画にすることを諦めて、これを記録としてまとめた。でも私がずっと気になっている戦争の話というのはいったい何なのか。どうしてもなんらかの作品にしたいと思った。そして、私に話をしてくれた亡き祖父のことを考えた。私にしか撮れない対象として、おじいちゃんについての映画を、と思い直した。 作りながら自覚したことは沢山あった。驚くほど、実の子ども(私の父や伯母)が兵隊時代の詳細を知らない、知ろうとしない、ということも無視できない事実だった。一方、おじいちゃんにとって戦争に行ったことは、忘れようにも忘れられない若き日の記憶に違いなかった。青春を戦争中の兵隊として費やすとは、どういうことか。現在の私は、ちょうどその年頃である。私にとって戦争とは、いくら知ろうとしても未知のものでしかないという現実も再認識した。伝えられた話を確かめる術もすでになく、想像するにも限りがあり、それは思った以上にまるで寓話のような印象を帯びて画面に表れてしまった。おじいちゃんが生きた戦争に対するリアリティのなさが、今生きている時代なのだと思った。 もちろん、至らなかった点は多い。一つには、編集の段階でおじいちゃんの戦歴に沿ってまとめることにしたため、いろいろな撮影を都合のよいように並べたような印象になってしまったことだ。つまり撮影した順に展開するには、迷いが多すぎ、私は一種の物語を支えにせざるを得なかった。そしてもう一つ、ただ黙って見ていても衝撃を起こすほどのシーン、というのは並大抵に撮れるものではない、ということを痛感した。それには、もっともっと鋭い視点と覚悟が必要だった。それが欠けていた私は、懸命にシーンつなぎでドラマを起こす方法を取った。 最低限守ったのは、撮影現場での対象の思いを無視したつなぎにはしないことと、 勝手な結論を作らないことである。出来上がった作品は、気軽に見られる、戦争の話についての話、という変テコな映画となった。人の身内の話なんて興味を持って見てもらえるのか、という心配が大きくて、とにかく笑いの生まれる仕上がりにしてしまった。この作品で語られるのは、特別な経験をした人などではなく、どこにでもある家族のどこにでもいるおじいちゃんである。そんな一人ひとりが日本の歴史とつながっているという感覚で、大文字の戦争から脱しようと試みたが、結果はどうだろうか。 完成上映会で一般の方に見ていただいたが、見る人によって、思うことには違いがあるようだ。私としては、自分のおじいちゃんの戦争話などに思いを馳せてくれたら嬉しいが、もっと思いもよらぬ感想を持ってくれる人がいると、私の考え以上に豊かな可能性があるように感じて、もっと嬉しい。最後になりましたが、イメージフォーラム映像研究所の卒業制作作品として、的確なご指導をくださった先生方に感謝申し上げます。 (中村のり子)

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